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近鉄バファローズの話。日生球場の思い出⑧。「外野席応援編」

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訪問いただきありがとうございます。

いらっしゃいませ。

日生球場の思い出。

私自身も収拾がつかなくなりましたので

これまでを振り返ります。

「今日のホームラン!」

 by佐々木信也さん

「噴水編」

「スタンド編」

「にぎやかな応援編」

「各応援団の特徴編」

「紙吹雪編」

「トランペット編」

「選手出待ち編」

全てソロホームランでした。

第8回は

「外野席応援編」でいきたいと思います。

日生球場の外野席は

「スタンド編」でもお伝えした

「日本一お尻が痛い」石の座席でした。

また外野席は

日本一お尻が痛い、石の階段の座席が

15段くらいしかない、狭い空間でした。

そのため

場外ホームランを多く見ることができました。

場外ホームランが出ると

外野スタンド外の草むらに入って、ボールを拾いにいきました。

私は最初のころ

大人たちに混じり、内野席で応援していましたが

新規参入の応援団

「高鷲近鉄バファローズファンクラブ」が

外野席で応援するようになったことから

外野に移動して応援することが多くなりました。

「各応援団の特徴編」よかったら見てくださいね。

「高鷲近鉄バファローズファンクラブ」は

紫色ベースの近鉄の旗を作って

外野席に来た人に渡していました。

ファン獲得作戦ですね。

応援団が来たことで

お客さんがほとんどいなかった外野席にファンが集まり

応援するようになってきました。

新規参入の応援団

「高鷲近鉄バファローズファンクラブ」は若手中心でした。

一方、指定席の「高井田応援団」はベテランでした。

私は外野席の応援団の近くで一緒に応援していましたが

常連だったこともあり、応援団が少ない日には

太鼓を叩かせてくれたり

応援旗を振らせてくれたり

なぜか、トランペットを持ち帰らされたり

(当然、トランペットを吹く練習をしました。)

応援団一歩手前の状態でした。

普通の格好をした私(中学生)が、応援団を経験できたことは

他の人とは違う、優越感や特別感かつ、非日常体験でした。

楽しかった思い出は

40年以上経った今でも鮮明に覚えています。

昨日食べた夜ごはんは、すぐに思い出せませんが。

今思えば

小学校6年生の卒業文集で、「将来の夢」について

「近鉄の応援」と書いたことが

中学生で現実になりかけていたんですね。

思いが現実となる。

そう言えばそうなる。

引き寄せの法則です。

結局、応援団には入りませんでしたが。

日生球場の(マニアックな)話

まだまだ続きます。

書籍化目指して

ネタを出し切りたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

最高の人生。

今日も感謝。


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