人生で大切なことは、近鉄バファローズが教えてくれた。ー日生球場の応援編ー


「近鉄バファローズ」

この名前を聞くと、胸の奥が少しだけ熱くなります。

すでにこの世に存在しないプロ野球チーム――それでも私は、いまもなおこのチームが大好きです。そして永遠に・・・
なぜここまで惹かれるのか、自分でもうまく説明できません。

それくらい、生活の一部どころか、私の人生そのものに「近鉄バファローズ」は入り込んでいました。


消えたチームなのに、忘れられない――

「近鉄バファローズ」という名前を聞いて、心がざわつく人。
それはきっと、昭和〜平成のはざまで、その球団を愛していた人たちだと思います。
人気もなかったし、強くもなかった・・・

けれど、だからこそ「自分たちだけが知っている特別な存在」だった。
今回はそんな“永遠のローカル球団”への、個人的なラブレターをお届けします。
そんな私の原点とも言える思い出の第3回は
日生球場の「応援編」。

バラバラな応援を覚えているあなたも、知らないあなたも、ちょっとだけ寄り道して読んでみてください。

あの頃のワクワクを、あなたに・・・。


私の「近鉄愛」を込めた第1回(噴水編)はこちら

そして、第2回(スタンド編)はこちら


一体感ゼロ。でも心はひとつ。にぎやかな応援

こんにちは。
前回に続き、かつての名球場「日生球場」での思い出をお届けします。
今回は、その中でも特に印象に残っている「応援」について。


狭い球場、荒れた芝、生まれるホームラン

まず、日生球場の特徴を少し。

グラウンドはとにかく狭く、外野の芝は荒れ放題。
ホームランがよく飛び出す球場でした。

公称の収容人数は25,000人でしたが、実際の座席数は約20,500人。
加えて、座席といっても内外野は長椅子のベンチ。

そして、残り4,500人は「立ち見」ということ・・・
バファローズ(猛牛)だけに「ギュウギュウ」。
消防法なんてお構いなしだったと思います。

そんな中、応援だけは“圧倒的な開放感”がありました。


近鉄応援団は、「バラバラ」が当たり前

今のプロ野球では、ファンが一つとなった応援が定番です。
外野席の応援団を中心に、太鼓、トランペット、手拍子、メガホンがピタッと揃っていて、まさに“統率の美”。

でも、当時の近鉄バファローズ応援団は、バラバラでした。

指定席、内野席、外野席――それぞれに応援団がいて、
それぞれが、それぞれのタイミングで応援していたのです。
バラバラな「3和音」での応援でした。

応援歌もバラバラ。
太鼓のリズムもバラバラ。
選手へのコールもタイミングもバラバラ。

統一感? そんなもの無かったです。
でも、それがまた良かった。

今思えば、「まとまりがない」とも言えるけど、
あの“カオスな熱狂”が、日生球場らしさだったんです。


鳴り響く太鼓とトランペット、そしてOSK!

イニング間には、どこからともなく鳴り響く太鼓。
別の方向から、突然トランペット。
各応援団が思い思いに音を出す。これがもう、にぎやかの極み

そんな空気の中、たまに現れるのが――
**OSK(日本歌劇団)**の皆さん。

阪急電鉄が宝塚歌劇団を持っていたように
近鉄は、OSK(日本歌劇団)を持っていました。

今でいうところの“チアガール”のような存在で、
華やかな衣装に身を包み、グラウンドに花を添えてくれていました。

あの時代に、あの場所に、OSKがいたという事実が、今となってはなんだか誇らしい。
(ちなみに、OSKは大阪発祥の劇団です。まさに地元の誇り!)


雑音も熱狂も、全部が宝物だった

40年以上経った今でも、あのバラバラな応援が恋しくなります。
雑音のようで、でも、どこか心に響く。
決して“整って”いないのに、不思議とまとまっていた。

それぞれの応援団が、自分たちのやり方で選手を後押ししていた――
そんな空気が、たしかにあの球場にはあったのです。


次回は「各応援団の特徴」編へ

ということで、次回はその“バラバラ応援”を支えていた
各応援団の特徴についてお届けします。

「まだ日生球場の話、続くんかい」
…はい、続きます(笑)

もはや1冊本が書けそうな勢いですが、
ひとつひとつの記憶が、それくらい濃く、あたたかいのです。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
最高の人生。
今日も感謝。


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