人生で大切なことは、近鉄バファローズが教えてくれた。【番外編②】阪急ブレーブスの聖地、西宮球場の思い出。


「近鉄バファローズ」

この名前を聞くと、胸の奥が少しだけ熱くなります。

すでにこの世に存在しないプロ野球チーム――それでも私は、いまもなおこのチームが大好きです。そして永遠に・・・

なぜここまで惹かれるのか、自分でもうまく説明できません。

それくらい、生活の一部どころか、私の人生そのものに「近鉄バファローズ」は入り込んでいました。


消えたチームなのに、忘れられない――

「近鉄バファローズ」という名前を聞いて、心がざわつく人。
それはきっと、昭和〜平成のはざまで、その球団を愛していた人たちだと思います。

人気もなかったし、強くもなかった・・・

けれど、だからこそ「自分たちだけが知っている特別な存在」だった。
今回はそんな“永遠のローカル球団”への、個人的なラブレターをお届けします。


そんな私の原点とも言える思い出の【番外編】として
「南海ホークス」
「阪急ブレーブス」
「近鉄バファローズ」があったころの記憶です。

かつて、パ・リーグ6球団のうち
3球団が大阪と兵庫にありました。

当時を覚えているあなたも、知らないあなたも、ちょっとだけ寄り道して読んでみてください。

あの頃のワクワクを、あなたに・・・。


関西にパ・リーグ3球団があった時代──南海・阪急・近鉄の記憶


ご覧いただきありがとうございます。
「近鉄バファローズの思い出」を語る上で、南海ホークス阪急ブレーブスの存在は欠かせません。
この2球団もまた、「球団名としては消滅した」ものの、深く愛されたチームでした。


かつて関西には、パ・リーグの球団が3つもありました。

  • 南海ホークス(大阪・なんば/大阪球場)

  • 阪急ブレーブス(兵庫・西宮/西宮球場)

  • 近鉄バファローズ(大阪・藤井寺・森ノ宮/藤井寺・日生球場)

南海は“おじさん世代”にとっての正統派、
阪急は“上品で静かなる強豪”、
そして近鉄は“泥臭いところに、なぜか惹かれるチーム”でした。


阪急ブレーブスの本拠地「西宮球場」編

〜甲子園球場の陰に隠れた、もうひとつの“聖地”〜

こんにちは。
今回は、近鉄バファローズ戦でよく足を運んでいた球場のひとつ、阪急ブレーブスの本拠地・西宮球場について綴ってみます。


阪急西宮北口駅の南側に、球場があった

「阪急西宮北口」駅から徒歩数分。
今では大型ショッピングモール「阪急西宮ガーデンズ」が立ち並ぶ場所に、西宮球場は存在していました。

当時の私は、阪急梅田駅から須磨浦公園行きの特急に乗り、約15分。
西宮北口駅から南へ5分ほど歩くと、憧れの球場がそこにありました。

なぜ“憧れ”だったのかというと——
**西宮球場全体に漂う「洗練された空気感」**に惹かれていたからです。

日生球場や大阪球場に比べて敷地が広く、球場正面の雰囲気は大リーグのスタジアムようなダイナミックさと高級感がありました。


通路にも特別感があった

外野席の入口を入るとスタンド下の狭い通路があり
その両サイドには飲食店やトイレが並んでいて、その光景も特別だったんです。

さらに忘れられないのが、外野席の“椅子”。
日生球場の凸凹コンクリート、大阪球場の木製ベンチとは違い、プラスチック製の長椅子だったんです!


球場内の印象は「高揚感」と「アットホームさ」

甲子園球場のような派手さはなかったものの、西宮球場は落ち着いて観戦できる雰囲気がありました。
それでいて、高級感ある構造と演出により、ワクワクした気持ちで観戦できたのも事実です。

内野スタンドは2階建て。後楽園球場と並ぶ立派な構造で、グラウンド全体がよく見渡せました。
また、外野席とグラウンドの間には“ラッキーゾーン”があり、そこにブルペンが設けられていたのも特徴的でした。

そして何より、センター後方に設置されていた電光掲示板の三菱電機製「アストロビジョン」(名称間違っていたらごめんなさい)。

電光掲示板での演出は、子ども心に「すげぇ!」と高揚感MAX。
今では当たり前の演出ですが、当時の私は完全にやられてました(笑)


球場ランキング(個人の主観です)

当時の私の中での球場評価はこんな感じ:

阪急(西宮) >>> 南海(大阪) > 近鉄(日生)

もちろん、これは「球場」や「印象」の話であって、ファンとしての愛は近鉄がぶっちぎりです!


阪急ファンは「紳士的」だった…けど

阪急ブレーブスのファンは、どちらかといえばおとなしめで、落ち着いた雰囲気の方が多かった印象があります。

そんな中で、特に楽しみにしていたのが——
「八百屋の声のおじさん」こと、今坂さんのヤジ

あとから知りましたが、今坂さんは阪急ブレーブス私設応援団「八二(やじ)会」の団長でした。

ダミ声で放つ、愛のあるヤジ。
それが妙に面白くて、観戦に来るたびに「今日はいるかな?」とワクワクしていたのを思い出します。

阪急の「お上品な空気」と、この「今坂さんの温かいヤジ」が、絶妙なバランスで球場を包んでいたように思います。


一番の記憶は「ナイター帰りの電車」

一番記憶に残っているのは、ナイター観戦の帰り道。
照明に照らされたグラウンドをあとにし、阪急電車で梅田まで。

「あー、終わっちゃったな…」という名残惜しさと満足感。

あの“試合後の余韻”は、大人になった今ではなかなか味わえない特別な時間でした。


最後に・・・

阪急ブレーブスがオリックスとなり、西宮球場が「西宮ガーデンズ」へと生まれ変わった今でも——
私の心の中には、あの昭和の西宮球場がしっかりと生きています。

球場はなくなっても、記憶は生きている。

野球ファンとしての原点をくれた球場のひとつとして、
これからもずっと、大切に想い続けたいと思います。

次回は「日生球場」に戻ります。


最後までご覧いただきありがとうございました、
最高の人生。
今日も感謝。


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