「近鉄バファローズ」
この名前を聞くと、胸の奥が少しだけ熱くなります。
すでにこの世に存在しないプロ野球チーム――それでも私は、いまもなおこのチームが大好きです。そして永遠に・・・
なぜここまで惹かれるのか、自分でもうまく説明できません。
それくらい、生活の一部どころか、私の人生そのものに「近鉄バファローズ」は入り込んでいました。
消えたチームなのに、忘れられない――
「近鉄バファローズ」という名前を聞いて、心がざわつく人。
それはきっと、昭和〜平成のはざまで、その球団を愛していた人たちだと思います。
人気もなかったし、強くもなかった・・・
けれど、だからこそ「自分たちだけが知っている特別な存在」だった。
今回はそんな“永遠のローカル球団”への、個人的なラブレターをお届けします。
そんな私の原点とも言える思い出の【番外編】として
「南海ホークス」
「阪急ブレーブス」
「近鉄バファローズ」があったころの記憶です。
かつて、パ・リーグ6球団のうち
3球団が大阪と兵庫にありました。
当時を覚えているあなたも、知らないあなたも、ちょっとだけ寄り道して読んでみてください。
あの頃のワクワクを、あなたに・・・。
関西にパ・リーグ3球団があった時代──南海・阪急・近鉄の記憶
ご覧いただきありがとうございます。
「近鉄バファローズの思い出」を語る上で、南海ホークスと阪急ブレーブスの存在は欠かせません。
この2球団もまた、「球団名としては消滅した」ものの、深く愛されたチームでした。
かつて関西には、パ・リーグの球団が3つもありました。
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南海ホークス(大阪・なんば/大阪球場)
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阪急ブレーブス(兵庫・西宮/西宮球場)
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近鉄バファローズ(大阪・藤井寺・森ノ宮/藤井寺・日生球場)
南海は“おじさん世代”にとっての正統派、
阪急は“上品で静かなる強豪”、
そして近鉄は“泥臭いところに、なぜか惹かれるチーム”でした。
近鉄ファンから見た、南海と阪急の存在感
私が応援していた近鉄バファローズは
草魂「鈴木啓示」が有名なくらいで
さほど人気もなく、地味で弱い球団でした。
南海ホークスは、強いわけではなかったけど
なんといっても「野村克也」や「杉浦忠」の存在が大きく、
“伝統ある野球チーム”という印象。
阪急ブレーブスは、地味だけど強かった。
福本豊、加藤英司、山田久志…。
あの「黄金期の阪急」は、近鉄ファンとしても悔しいほど強くて、
また、西宮球場の上品さに
どこか憧れのような気持ちがありました。
南海ホークスの本拠地「大阪球場」編
〜なんばパークスの下に、熱き野球の記憶〜
今回は、近鉄バファローズ…ではなく、かつてのライバル「南海ホークス」の本拠地だった大阪球場について書いてみたいと思います。
現在、あの場所は「なんばパークス」として、多くの人でにぎわう商業施設になっています。
でも、その場所には確かに、プロ野球の熱狂と汗がしみ込んだグラウンドがあったのです。
立地は最高。でも客席はガラガラ…
大阪球場の立地は、まさに一等地。
なんば駅から徒歩数分というアクセス抜群の場所にありました。
しかし――
昭和50年代の南海ホークスはBクラスの常連。
私が通っていた頃は、いつも観客は少なかったですが、その分選手に対するヤジがたくさん聞けたことが、子供ながらに楽しかったです。
大阪球場のライト側にあった、場外馬券売り場の方が人が多いんちゃうかという、嘘のような本当?!のヤジが印象的でした。
独特な「すり鉢形状」と傾斜のある階段
大阪球場全体は、角度のあるすり鉢構造が特徴的でした。
球場のイメージとしては、横浜スタジアムのような感じです。
スタンドの階段は、なかなかの急角度でした。
今思えば、あの急な階段をビール片手に昇り降りしていた大人たちは、すごい運動神経だったと思います(笑)
私の指定席は「レフト側外野席」
私は「近鉄子供の会」で外野席がタダで入ることができたので、レフト(ビジター)側の外野席で応援していました。
大阪球場外野席の座席は、渡り板のような木製でしたが
日生球場の外野席よりは「かなり上等」な座席でした。
デーゲームは「日焼けの時間」でもあった
土曜・日曜のデーゲームでは、上半身裸になって応援している人も多く見かけました。
そういう私も、外野席で帽子だけかぶって、肌をこんがり焼いていました。
野球観戦なのか、日焼けサロン代わりなのか。
いま思えば、のどかで自由な時代だったなぁと思います。
最後に
大阪球場は、いまや目に見える形では存在しませんが、
なんばパークスの地面の下には、きっと私たちの声援や歓声、悔し涙が今でも残っている気がします。
「野球場はなくなっても、思い出はなくならない」
そんな気持ちで、今回のコラムを書いてみました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は憧れのスタジアム「阪急ブレーブス」の聖地
「西宮球場の思い出」を語ります。
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